台所のおと

今年102冊目。
台所のおと (講談社文庫)

決して無駄水を流すような未熟なまねはしなかった。だから、桶はもうじきいっぱいになるし、そこで水音がとまれば、あきが葉ものごしらえにかかっている、という見当づけは多分あたるのだが――やはり水はとめられた。あきは棚のほうへ移ってなにかしている気配で、やがてまた流し元へもどると、今度は水栓全開の流れ水にして、葉を洗いあげている。佐吉はその水音で、それがみつばでなく京菜でなく、ほうれんそうであり、分量は小束が一把でなく、二把だとはかって、ほっとする安らぎと疲れを感じる。
(pp.12-13)

とまあこんな繊細な感性でもって日常のほんのちょっとしたことに端を発する感情の揺れ動きを描いた短編集。
結核手術を前にした入院生活や、病人を抱える近所の人を手伝いに行くこと、子供が結婚して一人暮らしをすることになった母の暮らし等々に関する全10篇。
確かに人間関係ささいなことでうまくいったりいかなかったりするわけで、そうした分岐点のささいなことをこうも見事に物語として描けてしまうというのは驚嘆に値する。
…値するんだけど、そこまで鋭敏な感性をもつ筆者さんが実生活で感じた気苦労はその分それはそれは凄まじかったのではないかと、変なところで気の毒にも思ってしまった。