ガニメデの優しい巨人 読了
今年58冊目。
- 作者: ジェイムズ・P・ホーガン,池央耿
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1981/07/31
- メディア: 文庫
- 購入: 20人 クリック: 210回
- この商品を含むブログ (111件) を見る
戦争というのは、非常な物資を消費するものでしょう。それを、もっとよいことに使ったらよかったのではありませんか?ルナリアンはありたけの知恵を働かせるべきでした。生きることを望みながら、ことごとに死ぬ方向を目指したのです。やっぱり、ルナリアンは狂っていたのです。
(p.110)
「地球人はよく神の名を口にするけれど、本当に信じていると思うか、とわたし、尋ねたんです。ガルースは何と言ったと思います?」
「何と言ったかね?」
「自分たちが造り出したものなら信じるはずだ、って」
(p.183)
ファーストコンタクトを通して人類の起源と、その発展の理由を追う。
抜粋部分のようになかなか厳しい指摘もあり、興味深い。
巨人たちには競争意識や闘争本能が全く存在せず、他への奉仕とそれによって他者から必要とされることが最大の喜びであり行動の理由となるという設定であるが、種としての本能からそういうものである場合、すなわち究極の社会主義が実現可能である場合、果たして本作中の巨人たちのように上下関係のある指示系統というのが発生してくるものであるのかどうかには疑問を持った。地球人の場合例え社会主義であっても「働いた分の見返りは欲しい」という意識が存在するために、労働の対価を分配するための指導者が必要であり、当然に上下関係のある指揮系統があった方が効率的になるのは分かる。しかし構成員全てが本能から労働そのものに喜びを感じている種族であれば、指導者などいなくても各々が自分にできることを行い、お互いがそれに感謝すればそれでよしとなるのではないだろうか。そうであるがゆえに全体としての効率性を欠くことになり、地球人と比べて発展の速度が非常に緩やかになるという記述と一貫するように思うのだがどうだろうか。
またガニメデの動物達は「外敵の危険から身を護ることを知らない。逃げたり隠れたりする知恵がない」(p.309)とまで記述して競争や闘争とは無縁の星だとされているのに、巨人たちが将来やってくるであろう地球人との衝突を予測しえたというのは少々筋が合わないように思った。それまでの地球人達との接触により戦争や摩擦について学んでいるとはいえ、彼らは本能的にそうした概念を持たず、それゆえ進歩や発展が緩やかであるという設定であるのに、ちょっと巨人たちを優れた存在として描きすぎたのではなかろうか。
第1作とは異なり、証拠と推論だけではなく、事実の一部を知る相手との会話にも重きが置かれている。
そのため第1作よりもついていきやすい反面第1作よりもオチが読みやすくどんでん返し感は少なめ。
それでもやっぱり終盤の展開の早さは好印象。
ハント先生のナンパがどうなったのかkwsk