ローマの休日

パリのときと同じく午後は徒歩でローマ市内を散策。
まずはトレヴィの泉から程近いスペイン広場*1へ。
映画「ローマの休日」でアン王女がアイスクリームを食べた、あの階段広場です。
JTBからも抜け目なくスペイン広場で使えるジェラートクーポンが渡されていたのでしっかりご利用。
わしはcocco*2、奥方はcrema*3を注文。
どっちもおいしかったけどcremaの方が好きだったかな。
ま、残念ながら現在スペイン広場は飲食禁止なのでジェラートを売っているお店の中で食べたんですけどね。
ちゃんとポリースが見張っているのでオードリーヘプバーンを気取りたい人は要注意ですよ。


次にどこへ行こうかということで、スペイン広場からも割と近い骸骨寺をチョイス。
その前に骸骨寺の目の前にあったカフェでサンドイッチを昼食にむしゃむしゃ。
お味は普通、お値段やや高め。
まぁその店に限ったことではなく、全体的に物価は日本より高かったです。
残念ながら骸骨寺は開館時間ではなかったので最終日に再訪することにして、そのまま歩いてクイリナーレ広場、ベネチア広場*4へ。
ベネチア広場にはヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂がドドドドーンと建っています。
1870年のイタリア統一を讃えた建物だそうで、壮大な建物ですよ。
聖火が焚いてあって「この火が消えるときローマは滅びる」と言われており、ちゃんと軍人殿が守っておられます。
記念堂にも登ることができ、ローマを一望できます。


そんな記念堂のすぐ目の前、というか背後にはフォロ・ロマーノ*5があります。
フォロ・ロマーノは現在も発掘が続けられている遺跡で、およそ2000年前のローマの政治・経済・文化の中心地だったとされる。
元老院凱旋門、神殿がかなり明確な形で残されて(復元含む)います。


フォロ・ロマーノを通り抜けてさらに少しばかり歩き、これまた映画「ローマの休日」に出てきた真実の口へ。
完全に観光スポットとなってしまっているこの口、嘘つきが口に手を突っ込むと抜けなくなるとのこと。
ビシッと並んだ後、二人それぞれが口に手を突っ込んで記念撮影。
どうやら二人とも嘘つきではなかったらしい。


そして最後はコロッセオへ。
昼前に来たときは入場できなかったので、今度はきっちり入場料10ユーロを払って入場。
古代剣闘士の戦いに思いをはせたりしながらしっかり堪能してきましたよ。

*1:広場と階段、それに教会とが織りなすユニークな空間が魅力的。広場の前にかつてスペイン大使館があったことから、この名で親しまれるようになった。映画『ローマの休日』のなかに登場したこともあって、いつも大勢の観光客で賑わっている。
137段の階段を上り、踊り場から見渡す広場の風景は美しい。階段の上にあるトリニタ・デイ・モンティ教会(Piazza della Trinita dei Monti)は、2つ並んだ鐘楼と、1787年教皇ピウス6世によって建てられたオベリスクが印象的。階段を下りてすぐ左手には、イギリスの詩人キーツシェリーの記念館、広場中央には、バロックの有名彫刻家ベルニーニの父親による舟の噴水がある。4月には、ツツジの花が人々を魅了する。

*2:ココナッツ

*3:バニラ?

*4:ローマの中心にあたり、観光の起点としても便利な広場。
広場正面にあるのが「白いウェディングケーキ」という別名をもつヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento a Vittorio Emanuele Ⅱ)。1870年にイタリアを統一したエマヌエーレ2世を称えて建設され、1911年に完成したネオ・クラシック様式の建物でローマ市民からはヴィットリアーノと呼ばれている。16本の円柱が弧を描くコロナーデは見事。
広場中央に立つエマヌエーレ2世国王の騎馬像の下には、第一次世界大戦で戦死した無名戦士の墓がある。
また、エマヌエーレ2世記念堂に向って右手には、初期ルネッサンス建築のヴェネツィア宮殿(Plazzo Venezia)があり、現在は博物館となっている。

*5:ベネチア広場とコロッセオの間にある古代ローマ時代の遺跡。 フォロとは公共広場という意味で、ここには、商業、政治、宗教上など市民生活に必要な機関がすべて集まっていた。
神殿や公共施設(バシリカ元老院など)が所狭しと建ち並び、シーザーやアウグストゥスがヨーロッパの歴史を刻んだ。セヴェルス帝と2人の息子、カラカラとゲタの遠征の勝利を記念して建てられた凱旋門、民事裁判所があり、ローマ法が執行された所と言われるチェーザレのバシリカ、かつては88本の柱に囲まれていたと言われるカストーレとポルーチェの双子の神を祭った神殿など、当時の栄華を偲ばせるものが多い。 しかし、5世紀に西ゴート族の侵入を受け、フォロ・ロマーノの荒廃が始まった。
「パラティーノの丘」はフォロ・ロマーノの南側に位置するローマ建国の聖地。ローマの政治や経済などに力を持つ貴族などの住宅地だった。帝政時代に入り皇帝たちが宮殿を建て始めていった。今では夏には花が咲き、冬にはオレンジが実る場所になっているが、一部では19世紀に始まった発掘調査が未だに続いている。現在建物の形がわかるものはごくわずかであるが、石畳の道の両側には原形をとどめぬ大理石の塊がごろごろしている。