ローマ市内半日観光

nohmin2005-10-16

ローマ初日、もはや恒例My Bus社(ローマ支部)の市内バス観光。
まずはヴァチカン市国のサンピエトロ大聖堂*1へ。
もうここは、なんていうか、さすがにスケールが違う。
壮大、荘厳、ただただ驚き。
とりあえず聖ペテロ*2のおっさんの足にさわさわして天国往きを祈願してきましたよ。


そしてベネチア広場やサンタンジェロ城*3、真実の口*4などを車窓から眺めた後にコンスタンティヌス凱旋門*5コロッセオ*6へ。
ここでは時間の都合で入場はできませんでしたが、コロッセオ周囲には古代ローマ帝国時代の剣闘士の格好をしたお兄ちゃんたちが一緒に写真を撮ってくれるお友達を待っていましたよ。(有料)
わしはそのうちの一人に「ちんぽこ斬られ」ましたよ(−w−;)*7


市内半日観光の〆はコインを投げ込んだものは願いがかなうと言われるトレヴィの泉*8
1枚投げ込むと再びこの場所にこられる、2枚投げ込むと願いがかなうとのことで、しっかり2枚投げ込んできましたよ。
何をお願いしたかは秘密。

*1:面積約44万平方m、人口約1,000人ほどの世界最小国家ヴァチカン市国の大寺院で、世界のカトリック教会を支配する総本山。
キリスト12使徒の1人サンピエトロ(聖ペトロ)の墓の上に、コンスタンティヌス帝によって350年頃建てられた教会がその前身。16世紀に大改築する計画を法王ユリウス2世がたて、その後建築家ブラマンテをはじめとし、時代を代表する芸術家ラファエロミケランジェロ、ベルニーニなど10人の手と120年の歳月をかけ、1626年に完成した。
ミケランジェロはブラマンテの計画を生かし、現在見られる中央に大きな「クーポラ」(円屋根)を載せる計画をたてるが、工事は彼の死後に行われた。クーポラの高さは地上132.5m、直径42.5m、頂上からはローマを一望できる。
入ってすぐ右に、ミケランジェロ25才の時の傑作「ピエタ」がガラスのケースに収められている。またこの作品は、現存するミケランジェロの作品の中で、唯一署名が残されているものである。
ヴァチカン市国の入口となる大聖堂前は、サン・ピエトロ広場(Piazza San Pietro)と呼ばれる、イタリア・バロックの巨匠ベルニーニのデザインによる長径240mの楕円形の広場で、最大40万人を収容できると言われており、いつも世界各国からの観光客や巡礼者で賑わっている。

*2:キリストのおっさんから天国の門番を任されたという聖人。

*3:テベレ川の西岸にある円形の城。サンタンジェロとは「聖天使」の意味で、590年にローマにペストが流行した際、法王グレゴリウス1世が「大天使ミカエルが降り立ち、剣でペストを追い払う姿を見た」とから名付けられた。中心の塔には、剣をさやにおさめるブロンズ製の天使像がたつ。
139年にハドリアヌス帝の廟として造られたこの城は、その後度々改造され、中世には城塞、法王の避難所、または政治犯を収容するための牢獄として使われた。
現在、城内は国立サンタンジェロ城博物館(Museo Nazionale di Castel San Angelo)という武器博物館になっており、古代ローマ時代から現代までの兵器、武器が展示されている。

*4:「真実の口」には、嘘つきが手を入れると、喰いちぎられるという言い伝えがある。ここを訪れる人はみな口を開けた海神トリトーネの円盤型レリーフの前に並び、ちょっと心配そうに、口の中に手を入れている。
また、12世紀に建てられたロマネスク様式の鐘楼も見どころのひとつ。  教会前のボッカ・デラ広場(真実の口広場)のかたすみには、1世紀ごろの円形の建物ヴェスタ神殿(Tempio di Vesta)と紀元前3世紀の長方形の建物フォルトゥナ神殿(Tempio della Fortuna Virile)の2つがほぼ完全な姿で残っている。

*5:コロッセオの西側にある高さ28mのローマでは最大の凱旋門。312年にミルヴィオ橋の戦いでコンスタンティヌス帝が、ライバルであったマクセンティウス帝に勝利した記念に315年に建てた凱旋門
3つのアーチがあり、いくつかの表面の浮き彫りは2世紀の建築物から移されたもの。
ナポレオンがパリの凱旋門を造ろうとした時のモデルになった凱旋門でもある。

*6:紀元80年に完成した、周囲527m、高さ52mの楕円形の競技場。コロッセオ古代ローマの象徴でもあり、最大の建造物でもある。
1階が貴賓席、2階が一般庶民、3階は立見席と分けられており、合わせて73,000人を収容できたともいわれる。
各階に並ぶアーチ型の席は1階はドーリア式で大理石張り、2階はイオニア式で木製、3階はコリント式と異なる様式が用いられた。
コロッセオで行われていた競技は、剣闘士たちの戦いだけでなく、囚人やキリスト教徒を猛獣に襲わせる残酷なショーもあった。
東西南北には主な入口があり、北口は皇帝の席に通じ、西口は剣闘士の入場門、東口からは出し物の犠牲者になった死者を運び出していた。
コロッセオのすぐ西にコンスタンティーノの凱旋門がある。315年、初めてキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティーノがライバル、マッセンツィオ帝をミルウィアン橋の戦いで破ったのを記念して造られ、現在もほぼ完全な形で残っている。

*7:実際に彼が日本語でそう言ったのよ

*8:1734年に法王クレメンス12世が催した噴水設計コンテストで優勝したニッコロ・サルヴィにより1762年に完成した、ローマ有数の観光名所。
後ろ向きに右手で左肩越しにコインを投げると再びローマに来ることができ、2回投げると好きな人と結ばれるという言い伝えがあり、泉の前はコインを投げ入れる人でいっぱい。
古代ローマ時代、ローマ市の人口150万人もの生活を潤していた水路は、ローマ帝国の滅亡とともに破壊されてしまった。ルネッサンス期に古代の水路を修復して多くの泉が再現され、その中の一つとしてこのトレヴィの泉が有名である。

ローマの休日

パリのときと同じく午後は徒歩でローマ市内を散策。
まずはトレヴィの泉から程近いスペイン広場*1へ。
映画「ローマの休日」でアン王女がアイスクリームを食べた、あの階段広場です。
JTBからも抜け目なくスペイン広場で使えるジェラートクーポンが渡されていたのでしっかりご利用。
わしはcocco*2、奥方はcrema*3を注文。
どっちもおいしかったけどcremaの方が好きだったかな。
ま、残念ながら現在スペイン広場は飲食禁止なのでジェラートを売っているお店の中で食べたんですけどね。
ちゃんとポリースが見張っているのでオードリーヘプバーンを気取りたい人は要注意ですよ。


次にどこへ行こうかということで、スペイン広場からも割と近い骸骨寺をチョイス。
その前に骸骨寺の目の前にあったカフェでサンドイッチを昼食にむしゃむしゃ。
お味は普通、お値段やや高め。
まぁその店に限ったことではなく、全体的に物価は日本より高かったです。
残念ながら骸骨寺は開館時間ではなかったので最終日に再訪することにして、そのまま歩いてクイリナーレ広場、ベネチア広場*4へ。
ベネチア広場にはヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂がドドドドーンと建っています。
1870年のイタリア統一を讃えた建物だそうで、壮大な建物ですよ。
聖火が焚いてあって「この火が消えるときローマは滅びる」と言われており、ちゃんと軍人殿が守っておられます。
記念堂にも登ることができ、ローマを一望できます。


そんな記念堂のすぐ目の前、というか背後にはフォロ・ロマーノ*5があります。
フォロ・ロマーノは現在も発掘が続けられている遺跡で、およそ2000年前のローマの政治・経済・文化の中心地だったとされる。
元老院凱旋門、神殿がかなり明確な形で残されて(復元含む)います。


フォロ・ロマーノを通り抜けてさらに少しばかり歩き、これまた映画「ローマの休日」に出てきた真実の口へ。
完全に観光スポットとなってしまっているこの口、嘘つきが口に手を突っ込むと抜けなくなるとのこと。
ビシッと並んだ後、二人それぞれが口に手を突っ込んで記念撮影。
どうやら二人とも嘘つきではなかったらしい。


そして最後はコロッセオへ。
昼前に来たときは入場できなかったので、今度はきっちり入場料10ユーロを払って入場。
古代剣闘士の戦いに思いをはせたりしながらしっかり堪能してきましたよ。

*1:広場と階段、それに教会とが織りなすユニークな空間が魅力的。広場の前にかつてスペイン大使館があったことから、この名で親しまれるようになった。映画『ローマの休日』のなかに登場したこともあって、いつも大勢の観光客で賑わっている。
137段の階段を上り、踊り場から見渡す広場の風景は美しい。階段の上にあるトリニタ・デイ・モンティ教会(Piazza della Trinita dei Monti)は、2つ並んだ鐘楼と、1787年教皇ピウス6世によって建てられたオベリスクが印象的。階段を下りてすぐ左手には、イギリスの詩人キーツシェリーの記念館、広場中央には、バロックの有名彫刻家ベルニーニの父親による舟の噴水がある。4月には、ツツジの花が人々を魅了する。

*2:ココナッツ

*3:バニラ?

*4:ローマの中心にあたり、観光の起点としても便利な広場。
広場正面にあるのが「白いウェディングケーキ」という別名をもつヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento a Vittorio Emanuele Ⅱ)。1870年にイタリアを統一したエマヌエーレ2世を称えて建設され、1911年に完成したネオ・クラシック様式の建物でローマ市民からはヴィットリアーノと呼ばれている。16本の円柱が弧を描くコロナーデは見事。
広場中央に立つエマヌエーレ2世国王の騎馬像の下には、第一次世界大戦で戦死した無名戦士の墓がある。
また、エマヌエーレ2世記念堂に向って右手には、初期ルネッサンス建築のヴェネツィア宮殿(Plazzo Venezia)があり、現在は博物館となっている。

*5:ベネチア広場とコロッセオの間にある古代ローマ時代の遺跡。 フォロとは公共広場という意味で、ここには、商業、政治、宗教上など市民生活に必要な機関がすべて集まっていた。
神殿や公共施設(バシリカ元老院など)が所狭しと建ち並び、シーザーやアウグストゥスがヨーロッパの歴史を刻んだ。セヴェルス帝と2人の息子、カラカラとゲタの遠征の勝利を記念して建てられた凱旋門、民事裁判所があり、ローマ法が執行された所と言われるチェーザレのバシリカ、かつては88本の柱に囲まれていたと言われるカストーレとポルーチェの双子の神を祭った神殿など、当時の栄華を偲ばせるものが多い。 しかし、5世紀に西ゴート族の侵入を受け、フォロ・ロマーノの荒廃が始まった。
「パラティーノの丘」はフォロ・ロマーノの南側に位置するローマ建国の聖地。ローマの政治や経済などに力を持つ貴族などの住宅地だった。帝政時代に入り皇帝たちが宮殿を建て始めていった。今では夏には花が咲き、冬にはオレンジが実る場所になっているが、一部では19世紀に始まった発掘調査が未だに続いている。現在建物の形がわかるものはごくわずかであるが、石畳の道の両側には原形をとどめぬ大理石の塊がごろごろしている。

マイウー!

お夕飯はエレガントな姿に着替えてAsador Cafeへ。
歩いていくにはちょっと遠いかな、ということでテルミニ駅からタクシーで行くことに。
そしたらタクシー乗り場にはすごい行列。
軽く1時間ほどタクシーを待って、予約の時間に30分遅れで到着。
イタリアでは時間は割とルーズと聞いてはいたけれど、タクシーの運ちゃんもレストランの人も陽気ないい人でよかった。
タクシー運ちゃんはチップもいらなーいということでニコニコ返してくれたよ。*1
そして出てきた前菜はナスのラザーニャ、ボルチーニ茸添え。
これがもう、とろけるうまさ!
その後のメイン*2もおいしかったんだけど、オードブルが一番おいしかった。
もうメロメロ。
Buono, grazie!*3
帰りもタクシーを呼んでくれて、このタクシーにも気持ちよく乗れました。

*1:別に運賃もぼったくられてないと思うよ、うん

*2:ルーコラペーストのニョケッティパスタ、ペコリーノチーズ風味→アルゼンチン牛、バルサミコ酢風味、ポテトと付け合わせ添え→アーモンドアイスクリーム、カラメルソース→コーヒー/ワイン/ミネラルウォーター

*3:ブオーノ、グラッツィエ=おいしかったです、ありがとう!