午後は散策

My Busで解散して、すぐ近くにあるルーブル美術館*1へ。
入り口付近にあるど高いジャンクフード店でパエリア*2をたいらげてから入館。
ルーブルもさすが、世界に名だたる美術館だけあるね。
なんていうか空間の使い方がとっても贅沢っていうか、魅せてくれます。
日本の美術館はほんと「作品が並べてあります、さぁ順番に御覧なさい!」って感じなんだけど、ルーブルは「貴重なコレクションが並べてある邸宅」って感じ。
ウロウロしてるだけで楽しめます。
実際、館内で写生をして勉強する美大生や、遠足らしき小学生のような一団もいました。


2時間ほどルーブルをウロウロした後はメトロ*3ノートルダム寺院*4へ。
ここもおっきいんだけど、見所としてちっちゃな秘宝館が併設されています。
金銀財宝、とは言わないんだろうけど、それに近しい物たちが並んでいてとってもきれいでございます。
キリスト教なんてこれっぽっちも信じていない上に文才も全くないわしが見ればこの程度の表現になるんだけど、信者さんや美術家さんならまた格別の想いもあるのでしょうね。


で、仕上げに凱旋門*5に登ってこの日はホテルへ。
凱旋門の上から見るとパリ中が見渡せるのですが、すぐ下を覗き込めばパリのおっそろしい道路事情も思い知ることができるので必見ですよ。
5車線も6車線もありそうな道路に線が引かれておらず、車がぐちゃぐちゃと走るその様は、事故が起こらないのが不思議なくらいなのです。

*1:400の展示室に約3万5,000点もの美術品を公開している、世界有数の巨大美術館。古代美術から19世紀半ばの西洋美術まで、その展示・所蔵品は多岐にわたるが、所蔵作品は総数約30万点。
12世紀、フランス王フィリップ・オーギュストは住居の官殿とは別に、現在のルーブル宮殿方形官の1/4に相当するルーブル城砦を建造した。
1546年、フランソワ1世の命により、城砦の基礎の上に当世風の宮殿を建設することとなり、その後のアンリ2世、シャルル9世、アンリ3世らの時代に宮殿の西翼棟と南翼棟が建造される。途中宗教戦争により工事は中断。その後もルイ13・14世、ナポレオン1・3世らにより宮殿建設は続けられたが、パリコミューンによって破壊され、現在の姿に近く再建されたのは第2次大戦前。
フランソワ1世の12点の絵画のコレクションからスタートし、歴代の王を経て美術品が増え、ナポレオン1世が敗戦国から芸術作品を貢がせ美術館を充実させた。
大統領ミッテランにより、リシュリュー翼棟を美術館に組み入れ、中国系アメリカ人建築家のガラス張りのピラミッドを入館受け入れとする計画が実行された。

*2:デザート・ドリンク込みで二人分23ユーロになりまーす。

*3:地下鉄のこと。

*4:2千年前より、ガリア=ローマの寺院、キリスト教のバジリカ聖堂などが、時代に応じて建てられていた人々の祈りの場所に、1163年モーリス・ド・シュリー司教によりノートル・ダム寺院の建築が着工され、約200年の歳月を要して完成させた。
フランス史に残る数々の儀式や祭典、葬儀などがとり行われる舞台となったが、フランス大革命下には、国民議会や国民公会が教会財産を没収し政教分離を推進したため、司教は追放され祭式は禁止となり荒廃の憂き目にあうが、その後ナポレオンによりノートル・ダムは再び教会の運営となる。
1804年には、ルーブル美術館のダビッドの絵に描かれている「ナポレオンの戴冠式」の豪華な祭典が行なわれた。
寺院の正面の3つの入口は、向かって左から「聖母マリアの扉」「最後の審判の扉」「聖アンナの扉」と名付けられ、文字の読めない信者達が、聖史や聖人伝を目で見て学べるように、各テーマを繊細なレリーフで刻み、石の聖書となっている。
又扉上の28体の彫刻は、キリストの祖先であるユダヤイスラエルの諸王の像。
聖堂内の各壁面には、信徒や資産家からの寄付に応えて13-14世紀に作られた礼拝室が設けられ、西・南・北の3面には直径10m以上もの壮麗なステンドグラスのバラ窓が見られる。
寺院正面に向かい右側の南塔には「エマニュエル」と呼ばれる13tもの大鐘があり、重要な行事の時に鳴らされる。左側の北塔からは塔内部の387段の階段を登って、鐘楼のある頂上に出られる。

*5: 凱旋門から伸びるシャンゼリゼ大通り、元は草原だったこの地に、1616年マリー・ド・メディシスが「女王の遊歩道」を建設したことに始まる。
その後並木を植え、ギリシア神話の楽園「エリューオン」(神々に愛された人々が死後幸福な生活を営むとされた野)にちなんで、シャンゼリゼ(エリゼの園)と名付けられた。18世紀末には、円形劇場風になった芝生の中央から5本の並木道が伸びていたこの場所に、ナポレオンの命令により、フランス軍の栄光を称える巨大なアーチ型の門が建造された。
凱旋門は1806年の着工から30年後の1836年に完成し、1854年オースマンにより7本の新たな大通りが造成され、現在の凱旋門を中心とする12本の放射状に伸びる大通りの型となる。古代に着想を得た、高さ49.54m、幅44.82mのこの凱旋門は、大量の高浮彫り彫刻で飾られている。
特に、シャンゼリゼ側右面の彫刻「1792年の義勇兵の出陣」通称「ラ・マルセイエーズ」はリュードの傑作で、普墺戦争時の義勇軍出陣の様子を描いたもの。また現国歌「ラ・マルセイエーズ」はその時のテーマ音楽である。左側の彫刻「1810年の勝利」は、ウィーン講和条約を祝うものである。
凱旋門建造の号令をかけたナポレオンは、完成を見ずにセント・ヘレナ島で没し、遺体となって砲車に乗せられ凱旋門を通りアンバリッド廃兵院に向った。その他時代毎にさまざまな行進が行なわれたが、現在では、7月14日革命記念日(パリ祭)での軍隊の行進(コンコルド広場―凱旋門の間)が有名である。
地下を通って凱旋門の真下に出ると、第1次大戦の無名戦士の墓があり、毎夕18:30に「追悼の炎」が点火される。
凱旋門の屋上に登るには、凱旋門の真下に出て、窓口で切符を買い、徒歩272段の階段か、エレベーターを使用する。有料で祝祭日は休み。